8月20日 木曾御嶽山へ
ご来光を拝みに息子と初挑戦

日の出前

寒寒とした空気の中。
待ち望んだご来光が始まりつつある
感動を待ちわびる一瞬である。

人々が息を飲む。

真っ暗な山道、頼るは、自分のヘッドライトのみ
空気が薄くなる、だんだん息苦しくなる。
携帯酸素を片手に懸命に登る息子。
その息子をを励ましながら、密かに自分自身をも励ましている。
まさに、修行である。
ただひたすら、ご来光見たさにここまで登ってきた。
その瞬間が、もうすぐ。

日の出

待ちに待った、その瞬間。
午前5時10分

人々から歓声が沸き上がる。
誰しもが同じ思いにひたる。
山上を目指してたどり着いた者だけが知る同じ思いである。

僕は、この瞬間がたまらない。
どんなに苦しくとも、この感動を知ってしまえば頑張れる。
「なぜ、山に登るの?」「そこに、山があるからさ」
山男を表す有名な表現だが
ただ・ただ単純に「この忘れられないこの一瞬のためだけ」に
僕は、山を登る。

その暖かさ

日が昇るごとに、暖かさを感じる。

日の出を待っている時間の長い事。
「夏だというのに、容赦なく詰めたい風がほほにあたる
耳が冷たい。疲労した体にこたえる。」

先ほどまで、脳裏を掠めていた言葉がかき消される。
日の光は、これほどまでに暖かいものなのか。
じわじわ暖められていく体の中で、感謝の心が生まれてくる
日ごろ忙しく走り回っている僕にとって、
「自然・神々」などといった信仰心を感じさせられるひとときである。

御岳山上:ここからご来光を拝んだ。 山上からの雲海:朝日が反射してまばゆいばかり。


御岳山登山道入り口

同行していただいた友人と息子

彼もまた、山上で眺めた「満天の星」に見せられた一人である。

それぞれの、感動は、言葉では言い表す事が出来ない。
「よかったな」の言葉の中に全てが凝縮されている。
小学3年の息子は、何かつかんだ物があったのだろうか
また、感じ取ってくれた物があっただろうか。

車の中で、ぐっすり眠っている息子の顔を眺めながら帰路を急ぐ