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お酒よもやま話

灘五郷とは

 銘酒のふるさと、灘五郷とは、西宮市今津から神戸市灘区大石まで、沿岸約20キロメートルの地をいいます。
 灘という地名が文献に表れるのは正徳6年(1716年)のこと。
 当時は、現在よりも広い範囲を灘としていましたが、長い時代の変還を経て、明治中期以降は、東から順に、今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷の五つの郷を灘五郷と総称するようになりました。
 「灘の生一本」といえば、灘で生まれ育った混じりけのないお酒を意味し、最高級の日本酒の代名詞として愛飲家たちの垂延の的となってきました。

 

銘酒あるところ名水あり「宮水」

宮水が発見されたのは天保時代。それ以来、この宮水は、俗に”秋晴れする”といわれる灘の酒造りに大きく貢献しています。
 ”秋晴れ”とは、冬に作られたお酒が夏を越し次の秋を迎えると一層味が冴えてくることをいい、この秘密は宮水の成分にあります。
 宮水は西宮市の海岸付近にある浅井戸から湧き、鉄分が少なくリンやカルシウム、カリウムを豊富に含んだ硬水で、この成分バランスが灘酒の味の秘密といわれていますが、実際の働きに関してはまだ謎の部分が多く、現在の科学でも同じものを作ることは不可能といわれる神秘の水です。

六甲山の北側で作られる「山田錦」

 米の中心部にある心白が大きい山田錦は、土壌は粘土質で一日の寒暖さが激しい所が最も適しているとされており、六甲山の北側で作られる山田錦は大粒で心白が大きいため、精米しやすく加えて、山田錦によって作られた麺は糖化それでいて米の形はくずれない、まさに灘の酒造りにピッタリの最高の酒米です。

匠の技「杜氏」

 芳醇な日本酒には、地の恵みとともに巧みな技と人の和が不可欠です。その中心となるのが杜氏で蔵人たちの長となります。灘で働く杜人や蔵人は同じ兵庫の丹波や但馬などの出身者が多く、杜氏を中心とした連帯感の中で蔵ごとに酒造りの技を競い合ってきました。
 そして後継者へ伝えられる技の歴史が灘の避けを育ててきました。
 こうした伝統は現在にまで受け継がれ機械化が進む今日でも杜氏は灘の酒の味を決める重要な役割を担っています。

自然の恵み「六甲おろし」

 清らかな日本酒を釀するためには低い気温も必須条件灘五郷は冬になると、六甲山から瀬戸内海の方に吹き降りる六甲おろしをまともに受けます。肌をさすように冷たい六甲おろしは昔から蒸米を冷やすなど酒造りに広く利用されてきました。
 酒造りにおいて寒風は非常に貴重なものでこの寒気を取り入れるため、酒蔵ではたいてい棟を東西に長く伸ばし窓はきた向きに建てられています。

阪神淡路大震災と灘酒

 平成7年1月17日午前5時46分。
 今だ体が覚えているあの振れ。近代日本が一度も経験した事のない激しい振れが阪神間を襲った! 地盤のゆるい沿岸に隣接して建ち並ぶ灘五郷の蔵元は壊滅的な被害をもたらしました。
 蔵が全・半壊しライフラインを断たれた状況の中で酒造りは叶わぬ望み。しかし不自由な生活の中で人々の心を暖めるには避難所やテントの中で酌み交わされた酒でありました。
 また通常酒造りに用いる井戸水が、この時は、人々の命を支える水として使われ、灘が酒処で本当に助かったと言う言葉が当時、阪神間に住む人々の実感として随所で語られました。
 各蔵元の努力と地元の人々の熱い支援で灘五郷の酒造りは予想以上の速さで復興をとげつつあります。
 建て直された酒蔵、整備された酒蔵通そして以前と変わらぬ豊かな風味を持つ灘の酒は、多くの人々に希望を与えました。
 自分が今こうして生きて「灘の酒」を語れる事を本当に幸せだと思わずにいられません。

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